大人になるということ

先月末、大学時代の部活のOB会に出席した。そこで驚いたと同時に嬉しいような、寂しいようなことがあった。


今年の卒業生に1人優秀な選手がいて、彼はこれからも自転車で食べていくことを決めていた。
彼を熱心に指導している現コーチは僕の一つ上の先輩だ。先輩の親はオリンピック選手で、先輩も全国で表彰台にあがった選手である。
先輩は、彼が自転車選手として社会にでることに反対をしていた。


先輩も世界を目指し競技をしていた。良いときの走りは誰が見ても特別な才能を感じさせた。大学に在学しながらあえて留年し、競技に専念したりもした。
しかし先輩は問題をかかえていた。その問題が最後まで解決せず、先輩は競技で生活することを諦め、業界で誰もがしる企業に就職し働き始め、同時にコーチに就任した。


コーチ業はうまくいくこともあれば、そうじゃなかったこともあった。そんな中、彼含めて成果を出す個人か複数人あらわれたのはうまくいったことだ。
5年ほど続けたある日、先輩は結婚。業界の仕事を辞めた。このあたりから明確に変わった。


話は戻って、先日のOB会。現役の彼、先輩、僕が同じテーブルになったときのこと。
卒業後も彼が自転車を続けることをその日に知った先輩は語った。自己の問題を解決できずに諦めた無念さ。ずっとその想いを引きずり炎を燃やしたままコーチに就任し、現役の学生選手に代理戦争をさせていたこと。その炎を燃やし続けるガソリンにやっと終わりが見えたこと。そして、続けるからには中途半端にせず、後悔しない日々を過ごして欲しいということ。
先輩はすでに人生で次のフェーズに入っていた。今の生活の中心は奥さん子供と幸せに暮らすことで、それができる環境を求め転職したことを話してくれた。その話をする先輩は、僕がよく知る人物ではなかった。


リアクションの薄い彼にこの話がどれだけ響いたか、僕はわからなかった。彼なりのガソリンで競技を続けてくれることだと思う。ただ、そこに少し違うガソリンが混ざった気がした。
僕にとっても後輩である彼は来期の大きな楽しみの一つだが、もっと大きな期待したくなるのであった。


そして、僕もまだまだガソリンを積んで炎を燃やし続けていたことを実感した。